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仕事紹介works

記憶を積極的に忘れさせる神経細胞とその制御メカニズム

背景

 動物は、様々な情報を記憶することができます。獲得された記憶は、適切な時間だけ保持されて、その後忘れられることが必要です。例えば、餌がある場所を記憶したとしても、餌がなくなるころには忘れているほうが、生存の可能性が高まるはずです。

 これまで、記憶の獲得や保持に関する様々な制御機構が、分子・神経回路レベルで明らかにされてきました。一方で、記憶を忘れるメカニズムに関しては、ほとんど明らかになっておらず、積極的な制御機構があるかどうかさえ議論があるところでした。

 そこで、当研究室では単純な神経系を持つ線虫 C. elegansをモデルとして用いて、記憶を忘れにくい(記憶を忘れるメカニズムが壊れている)突然変異体を単離し、遺伝学的手法とイメージング技術を組み合わせて解析することによって、記憶の忘却を制御する分子・神経回路メカニズムを明らかにしました。

内容

 ほとんどの動物は、強い匂いにさらされると、その匂いに対して応答しにくくなります。このような行動の変化は、非常に単純な学習の一種と考えられています。線虫では、このような匂いの記憶は約4時間保持されます。

 当研究室では、この匂いの記憶が 24 時間以上続く、記憶を忘れにくい変異体を同定することに成功しました。この変異体の解析により、記憶を忘れさせるための神経細胞が存在することを明らかにしました。さらに、その神経細胞は、忘却促進シグナルを放出することにより他の神経細胞に保持された記憶を積極的に忘れさせていることも解明しました。当研究室が同定した記憶を忘れにくい変異体では、忘却を促進する神経細胞内で働く TIR-1/JNK-1 シグナル経路(※1)が壊れているために、忘却シグナルが放出されず、記憶を忘れにくくなっていました。

 神経活動をカルシウムイメージング(※2)により測定することによって、記憶を保持している神経細胞の同定にも成功しました。匂いを感じる神経細胞では、強い匂いにさらすとその匂い物質に対する応答がなくなり、4 時間餌の上で飼育すると応答が回復することがわかりました。このことは、匂いを感じる神経細胞に記憶が保持されていることを示唆しています。一方、記憶を忘れにくい変異体では、この応答が 4 時間後でも回復しないことが明らかになりました。これらの結果から、忘却促進シグナルは、記憶を保持している神経細胞の応答の回復を促進していると考えられます。

 本研究成果は、忘却の制御にかかわるシグナル経路や神経細胞の働き、神経回路の役割を明らかにした最初の研究といえます。さらに、忘却促進シグナルを介した積極的な忘却制御機構があることも、本研究によって初めて明らかになりました。

今後の展開

 忘却促進シグナルの分子実体の解明、その下流で働く細胞内シグナル経路の解明などを通じて、忘却を制御するメカニズムを明らかにすることが期待されます。記憶の保持時間は、ヒトなどの高等動物においても適切に制御されている必要があります。本研究で明らかになった、忘却を積極的に制御しているメカニズムは、高等動物の中枢神経系においても類似の仕組みが働いている可能性があります。したがって、本研究成果は、高等動物における忘却の制御機構を解明する上での基盤としても重要であると考えています。


(※1)TIR-1/JNK-1 シグナル経路
 ほ乳動物から線虫まで共通に存在している細胞内シグナル経路です。その一部は、自然免疫反応などに使われていますが、学習や記憶の制御における詳しい働きはこれまで分かっていませんでした。

(※2)カルシウムイメージング
 神経細胞が活動するときには、細胞内のカルシウムイオン濃度が上昇します。特定の細胞内にカルシウムイオン濃度によって色が変化する蛍光タンパク質を作らせることによって、その神経細胞のカルシウムイオン濃度の変化、つまり神経の活動をリアルタイムに蛍光顕微鏡で観察することができます。

リンク

『Cell Reports』誌の当論文のページ
 『Cell Reports』誌はオープンアクセスのジャーナルですので、どなたでも論文をご覧いただけます。ぜひ、ご覧ください。

マイナビニュースの当研究成果の紹介ページ
 当研究成果の詳しい記事を掲載していただいています。論文と合わせて、ご覧ください。


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