これまでの研究

私たちは、これまで細胞接着構造や微絨毛などの上皮細胞に認められる細胞膜構造の形成について研究を進めてきました【図1】。細胞接着構造は、われわれ多細胞生物の根幹を担う構造であり、微絨毛は栄養の吸収など生命の維持に必須の構造です。

私たちは上皮細胞の細胞接着構造であるタイトジャンクションを構成する膜タンパク質の同定やアピカル膜とバソラテラル膜を分離する機構に関する研究に取り組んでいます。さらに、細胞膜の脂質に着目して研究を展開し、細胞膜脂質組成の解析手法の開発に取り組み、上皮細胞のアピカル膜に存在し細胞内への物質の吸収に必須の機能を果たす微絨毛の構築原理を脂質・膜タンパク質の双方の観点から研究しています。

以下では、私(池ノ内順一)のこれまでの研究の経緯について、説明しています。京都大学医化学第二教室(月田承一郎教授)に所属していた、当時学部生だった私は、細胞同士が接着する上皮細胞に転写因子Snailを発現させることで、細胞同士が接着しない間葉細胞に転換するという論文に出会い非常に大きな衝撃を受けました(Nieto MA. Nat Rev Mol Cell Biol. 2002)。すぐさま追試を行い、培養上皮細胞にSnailを発現することによって確かに間葉細胞に転換することを確かめました。Snailは転写抑制因子で、上皮細胞の主要な細胞接着因子であるE-カドヘリンの発現を抑制することをNieto MAらが既に示していましたが、私はタイトジャンクションを構成するクローディンやオクルーディンの発現もSnailによって抑制されることを見出しました【参考文献】【図2】。

そこで、上皮細胞とSnailを発現することで間葉細胞に転換した細胞の両者で、発現量の異なる遺伝子を比較することにより、細胞接着に関与する新しい遺伝子を見つけられるのではないかという着想を得ました。

上皮細胞とSnailによって間葉化した細胞の遺伝子発現をGene chipで比較して、上皮細胞にのみ発現する遺伝子の絞り込みを行いました。大学院の期間、上皮細胞に発現している機能未知の膜タンパク質をコードする遺伝子を片っ端からクローニングして、その局在をスクリーニングしていきました。その結果、3つの上皮細胞が接着して形成する3細胞結合を構成する膜タンパク質、トリセルリン(Tricellulin)を世界で初めて同定することができました【参考文献】【図3】。

この上皮細胞にのみに発現する遺伝子群を眺めていますと、多数の脂質代謝酵素が含まれていることに気が付きました。そこで、接着する上皮細胞と接着しない間葉細胞では、細胞膜を構成する脂質分子の組成が異なるかもしれない、という次なる着想を得ました。

細胞膜の主たる構成成分は、膜タンパク質と脂質分子です。細胞膜を構成する脂質分子は数千種類にも及ぶ多様性を有しているにもかかわらず、それぞれの生理学的意義はほとんど明らかではありません。その原因の一つとして、脂質分子の解析の困難さが挙げられます。例えば、脂質は膜タンパク質と異なり、抗体を用いて見分けたりすることができません。

そのため、まずは細胞膜に含まれる脂質分子を、脂質分子種一つ一つのレベルで区別できるような方法の開発に取り組むことにしました。数年の試行錯誤の結果、コロイド状のシリカ粒子を用いて上皮細胞の細胞膜を物理的に単離し、細胞膜脂質の組成を質量分析により解析することで、脂質分子種の組成を解析する手法を確立しました【参考文献】【図4】。

この手法や、当時私が所属していました京都大学 梅田真郷 研究室で同定されたスフィンゴミエリン結合タンパク質を用いることにより、上皮細胞の微絨毛においてはスフィンゴミエリンと呼ばれる脂質分子が集積していることを見出しました。更にスフィンゴミエリンと共役して働く膜タンパク質を同定し、微絨毛の形成においてスフィンゴミエリンの果たす役割を解明しました【参考文献】【図5】。