九州大学大学院

生体高分子学研究室

Protein Science and Cellular Biochemistry

その20 フナムシはどこに消えたのか

ベランダの犬小屋に夏の太陽が差し込むので、庇からヨシズをつるした。一気に涼しくなった気がして、ふと、幼いときに遊んだ「海の家」を思い出した。あの頃の磯の浅瀬はとても豊かで、色とりどりの小魚が泳ぎ、ヒトデ、ナマコ、ムラサキウニ、バフンウニやガンガゼが住み着いて足のふみ場もなく、潮間帯の岩にはニナやカキ、クマノテなどが張り付き、防波堤には、一面真っ黒になるほどのフナムシが這い回っていた。丘の上では、オニヤンマやギンヤンマ、アゲハの類が飛んでいた。あのカラスアゲハのビロード色は美しかった。ひとしきり遊ぶと、持参のスイカを家族みんなで食べた。母は、ニナやアサリを探り、親父は、イモガラの茎を刺身風に薄く切ったやつを焼酎のつまみにして、満足そうだった。夕暮れに鳴くヒグラシは感傷的だった。

先週末、恒例の教室旅行で壱岐にいった。海の青さと山の緑のコントラストは、昔と変わらず見事である。早朝には、旅館近くの防波堤から型のよいアジがたくさん釣れた。壱岐一番の名所「猿岩」は相変わらずのたたずまいで、街には名物のウニ丼があふれ、旅館の晩飯は一昔より贅沢である。一方では、磯には小魚や棘皮類が見当たらず、岩に張り付く貝類も乏しい。フナムシさえも見ない。セミはクマゼミばかり、あの多様な生物種は、いったいどこに行ってしまったのだろう。食材としては不向きな生物であるためか、多くの人が気づかない間に、かつて身の回りにいた多くの大切な生き物たちを失ってしまった。たいせつなものは、失ってから気づくものである。

私の出身小学校は、鹿児島大隅半島の片田舎にあって、当時の地方特有の初等教育であったのか文部省の意向があったのかは知らないが、校内では方言を使うなと指導された。鹿児島弁を使うことが「悪」であり、NHKの放送言語とアクセント、いわゆる「標準語」が「善」であるように教育された記憶がある。馬鹿げた初等教育があったものである。その教育成果は、ただ田舎の子供たちに劣等感を植え付けたに過ぎない。当時、親父は、「標準語などを無理に使うことなく、おまえは大きくなっても鹿児島弁を心置きなく使えばよい、言葉は文化である」と教えてくれた。おかげさまで、今でもなんとか大切なものを失わずにすんでいる。

現在では、もっと危険なことに、初等教育に携わる関係者が、真の国語教育とは何かを追求する前に、うわべだけの英語教育に狂奔している。財界や政界からの無責任な「国際化」や「グローバル化」の言葉に踊らされて、本物の教育・研究を見失うことのないよう注意が必要である。国際化のうたう「英語によるコミュニケーション能力を有し、国際的に活躍できる人材の育成」が虚実であることは、英語の一番できるはずの英国人の国家が経済的に斜陽であることを見るまでもない(週刊新潮 管見妄語283:藤原正彦)。教育で最もたいせつなのは、母国語で磨き上げた教養と文化を持つ魅力的な人間の形成に他ならない。周知のことではあるが、国際的に活躍し、かつ通用する本物の研究者とは、研究成果を英語で話せることが重要なのではなく、その内容が重要であるかにかかっている。

2015年7月27日
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