九州大学大学院

生体高分子学研究室

Protein Science and Cellular Biochemistry

その18 少欲の努力

今年のワールドカップの頃、遠藤保仁選手のポスターが、地下鉄姪浜駅の壁に貼ってあった。遠藤選手は私の郷土鹿児島県の出身であり、日本代表選手のひとりである。あの得意のコロコロPKには幾度となく感動させられた。そのポスターのキャプションには、努力は必ず報われる、と書かれてあった。少なからず違和感を覚えた。中学のころまでは、努力は必ず報われるものであることを先生や周囲の大人たちが口にしていたし、私も信じて疑わなかった。なぜなら、夏休みの宿題を早めに片付けると褒められたし、定期試験の1週間程前から勉強すれば、多くの科目は高得点が期待できたからである。ところが、高校生になると根を詰めて何ヶ月も勉強したあげく、散々な試験結果が幾度となく続いた経験は私だけではなかろう。

鮮明に記憶に残っていることがある。大学2年の時に受講した地質学の教職科目は、めずらしく全回出席した。最終回は博多湾に浮かぶ能古島での野外調査であり、持参のカメラで撮影した地層や岩石の写真を貼り付けたレポートを書き上げた。友人のK君が野外調査を欠席したというので、自信作のレポートを貸してやった。結果、私はD判定の不合格で、K君はA判定の合格であった。翌年、私は再履修して、野外調査にも再度参加した。結果はC判定の合格、それでもなぜか満足感が残った。今でも能古島を訪れると地質学的に重要なポイントを懐かしく思い出すことができる。追加の受講料を払うこともなく、二度までも講義と実習を受けさせていただいた賜物であろう。少欲の努力の成果としたい。

いつの頃だったか、ものの本にA sound mind in a sound bodyは、健全な身体に健全な精神が宿る、の意味ではなく、健全な身体に健全な精神が宿らんことを、つまり身体と精神がともに健全であってほしいと願う祈願文だと書かれてあった。厳しい訓練で鍛え上げた身体でなければ健全な精神が宿ることはない、などと誤解して日々筋力トレーニングに励んでいる学生諸君もいるのではないか。この格言は、合目的的な身体と精神の鍛錬を推奨するものではなく、初詣の際にお賽銭を投げて神妙にお祈りする内容と同義なのである。先述のポスターキャプションも「あなたの努力が報われますように」とすれば、見る人の心に人生の応援メッセージとしてやさしく響いてくるのではないか。

努力は必ずしも報われないこと知ることは、人生を生き抜く上で必須の眼目である。道元禅師の教示のひとつに八大人覚(はちだいにんかく)がある。ここでの大人とは、さとりを開いたひと(ほとけ)のことである。第一の覚えは少欲、第二は知足、すなわち、欲は少なく、足ることを知ることである。島津家中興の祖と称される島津日新斎忠良(じっしんさいただよし)は、少しきを 足れりとも知れ 満ちぬれば 月もほどなき 十六夜のそら、と「日新公いろは歌」のなかで詠んでいる(いにしえのいろはことば:(株)ペンギン社)。あの偉大な月であっても、満月の翌日には惜しげもなくかけ始めるのだと。少欲・知足は、言うは易く行うは難し、修行の日々は続くのである。

2014年9月3日
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